ドラゴンスレイヤー

ドラゴンスレイヤー

RPG元年を締めくくった『ドラゴンスレイヤー』

早くからAppleIIなどの海外製PCでいわゆる“洋ゲー”を遊び倒していたごく一部のマニア層はさておき、一般のパソコンゲーマーの間に“ロールプレイングゲーム”という新しいゲームジャンルが周知され始めたのは、1983年も後半に入ってからのことだ。

当時のパソコン雑誌に掲載されていたゲームソフトの人気ランキングに、ロールプレイングゲームというジャンル表示が加わったのは1984年頃で、初頭に発売されたBPSの『ザ・ブラックオニキス』の爆発的な人気に後押しされるところが大きかった。これにより、日本のRPG元年と呼ばれる1984年を締めくくったのが日本ファルコムの『ドラゴンスレイヤー』と、1ヶ月遅れてT&E SOFTから発売された『ハイドライド』の2作品である。奇しくも、共にエンカウント後のコマンド入力ではなく体当たりによってモンスターを攻撃するという形で、アクションゲームの要素を取り込んだ作品だった。

ドラゴンを倒し王冠を持ち帰れ! 根底には海外ゲームのエッセンスが?

“前代未聞麻薬的爽快遊戯”というふれこみの『ドラゴンスレイヤー』のPC-8801版が発売されたのは1984年10月のこと。すぐに富士通のFM-7シリーズにも移植され、その後、SHARPのX1やMSX、PC-9801といった当時の主だった機種は元より、エポックのカセットビジョン用の『ドラゴンスレイヤー』も発売された。ちなみにMSX版と98版の発売元はスクウェアである。

日本ファルコムのRPG作品としては、1983年末に発売された『ぱのらま島』に続く2作品目にあたり、開発者も同じである。当時はまだアクションロールプレイングゲーム(ARPG)という呼称は定着しておらず、“ニュータイプリアルタイムロールプレイングゲーム”というキャッチフレーズがつけられていた。正方形の升目状のフィールドマップがあり、その右サイドにプレイヤーキャラクターのステータスが表示されるという画面構成はAppleIIで人気を博していた『UltimaIII EXODUS』を彷彿とさせるが、『ぱのらま島』の時点で既にアクション要素を取り入れていた『ドラゴンスレイヤー』のゲームデザイナーは、『Ultima』シリーズのプレイ経験から、モンスターの横で攻撃コマンドを入力しなければならない手間を体当たりで省くことができるのではないかという発想を得たことが、『ドラゴンスレイヤー』のシステムに繋がったのだと後に話している。80年代に次々と登場した草創期のソフトハウス群の中には、元々はパソコンショップを経営していて、出入りしていた常連客が開発したゲームソフトを店頭販売するところからブランド化したメーカーが少なくない。日本ファルコムもそうしたメーカーのひとつで、コンピュータランド立川というアップル社の公認代理店だった。そのため、日本ファルコムの開発スタッフは暗中模索を続けていた国産作品よりもAppleII用ゲームに接する機会の方が多かった。『ドラゴンスレイヤー』に代表される初期作品には海外ゲームの影響を強く受けつつ、独自の色合いを加えた個性的な作品が多く、新しい物好きのファンの耳目を集めることに繋がったのである。

『ドラゴンスレイヤー』の構成は非常にシンプル。プレイヤーキャラクターを操作して迷宮の中を探索し、戦闘とアイテムでキャラクターを成長させる。最終的には迷宮の何処かに潜む三頭のドラゴン、ビオラインを倒し、奪われた王冠を持ち帰るというものである。ゲーム開始時点における主人公は裸一貫で迷宮の中に放り出された状態であり、最初は剣すら装備していない。まずは開始地点の近くにあるはずの剣を探し出し、拾ったアイテムを家に持ち帰ってある程度成長させないと、ザコモンスターと戦うことすらままならないのだ。プレイし始めてしばらくの間は大変に難儀することが予想されるが、いったん慣れてしまうと快適にプレイが進むようになる。壁や家を移動させてうまく拠点を確保するなど、パズル感覚でゲームを運ぶ内に、確かにプレイヤーは“麻薬的爽快感”を得られるだろう。

最初に発売されたPC-8801版には、出荷時期によって2つのヴァージョンが存在する。初期ロットのLevel1.1が非常に高い難度だったということで、後にゲームバランス調整の行われたLevel2.0の登場となった。他機種版は後者に準拠しているので、Level1.1の高難度プレイは88ユーザだけの特権だった。かつて、FM版やX1版などでドラスレを極め尽くした猛者は、この機会に初期版を遊んでみるのも面白いのではないだろうか。

Text by 森瀬 繚(2011.06.04 掲載)

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