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hally
佐藤さんといえば、往年のゲームフリークにとっては『コンプティーク』誌の編集長としてなじみ深い存在です。同誌から離れてずいぶん経つわけですが、編集長をしておられた当時(1980年代〜1990年代)を振り返ってみて、佐藤さんにとってのゲームとはどういうものだったのでしょうか?
佐藤
難しい質問ですね……。ゲームには、プレイヤーとしてというよりも、ずっと仕事としてかかわってきました。最初はおもちゃ業界にいて、業界新聞の記者をやっていたのですが、1970年代そこに『スペース・インベーダー』、そしてテレビゲームなるものが生まれました。ようするに、極めてアナログな、紙とプラスチックでできたゲームの体験が最初にあって、デジタルでゲームが誕生していく過程を見てきたというのがありますよね。
ドットで構成された宇宙船なりインベーダーの形が、ある種の輝きを持ってブリンクしているといった、非常に古い人間がデジタルなものに出会った衝撃から始まっています。
最初にアーケードゲームを見たときには、紙とプラスチックでできたゲーム(との違い)から衝撃を受け、またApple II上で、例えば『ミステリーハウス』などのテキストアドベンチャーとか、様々なアクションゲームに触れたときには、「舶来品」として衝撃を受けました。そういうところがスタートでした。
おもちゃ業界の新聞記者として、テレビゲームを紹介する立場になって、その動向を見てきたわけですが、1982年に角川会長と出会ったときに、パソコン雑誌を角川書店がやるという話が持ち上がりました。パソコン雑誌の企画自体は、すでに(角川社内でも)いくつか出ていたらしいんですけど、僕の体験というのは、今申し上げたように、テレビゲーム/アーケードゲームとの出会いから始まって、その衝撃のようなものを引きずっていた。だからパソコン雑誌ではなく、テレビゲーム雑誌というものをやってみたらどうだろうかという企画書を出したんです。そうしたら、現会長が即決して『コンプティーク』の誕生に繋がっていく。そういう経緯がありました。
hally
パソコン誌というよりは、ゲームを含むデジタルなエンターテイメント全体の輝きをひとところにまとめたのが、初期『コンプティーク』でしたね。
佐藤
日本で初めて、そういったものがわりと自由に作られていく過程を、ずっと見てきたわけですからね。
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